パーカー・ランチ » かつて全米一の広さを誇った牧場 / ワイメア ハワイ島

パーカー・ランチ

もくじ

ワイメア(カムエラ) 地図

広域図

ワイメア(カムエラ) 地図

拡大図

ワイメア(カムエラ) 拡大地図

パーカー・ランチ Parker Ranch

パーカーランチ(2005年2月)

パーカーランチ(2005年2月) By みや / あろは村

いつも写真を撮りそびれてしまうので、写真は みやからの借り物です。

ワイメアと言えばパーカーさん

ワイメアを語る上で欠かすことのできない存在、パーカー・ランチ。個人所有の牧場としては、その規模が全米一を誇った時代もありました。

パーカー・ランチが ジョン・パーマー・パーカー によって設立されたのは、今から約160年以上前の1847年のこと。今でもアメリカで最大規模、かつ最古の牧場の一つであり続けています。

1992年に6代目のリチャード・スマートが亡くなり、それ以降は Parker Ranch Foundation Trust(パーカーランチ財団トラスト)の所有となりました。

パーカーランチ(2004年2月)

パーカーランチ(2004年2月) By みや / あろは村

何年のデータか不明ですが、facebook情報によると、牧場の大きさは13万エーカー(526平方キロメートル)とのこと。東京23区が 623平方キロメートルです。何とも比べづらいですが、東京23区より一回り小さいサイズ。ってことにしておきましょうか。

参考サイト

パーカー・ランチ・ヒストリック・ホームズ Parker Ranch Historic Homes

営業時間 : 月~金 8:00~16:00

parkerranch.com

Google Maps

190号線から伸びる一本道の先にパーカー家ゆかりの家があり、見学することが出来ます。

一軒は、1862年に建てられ、1879年、ジョン・パーマー・パーカー2世によって購入されたハワイアンビクトリア朝の大邸宅「Pu'uopelo(プウオペロ)」。

その右側には、1847年にジョン・パーマー・パーカーによって建てられた「Mana Hale(マナ・ハレ)」があります。こちらの家は 12マイル離れた元あった場所から移転され、現在の位置に再建されました。

現在は、ここがパーカーランチの本部として利用されているようです。この家はずっと気になっていたので、次に行く機会があればリポートしたいと思います。

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ハワイ王室との関係

この牧場がここまで広大な理由は、設立者のジョン・パーカーが、ハワイ王室と関わりを持ったことに由来します。

ジョン・パーカーとカメハメハ1世

ジョン・パーカー:By not given (HawaiiHistory.com) [Public domain], via Wikimedia Commons
カメハメハ1世:See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons

1809年、19歳でマサチューセッツから船に乗ってハワイを訪れた彼ですが、1816年にはカメハメハ1世の孫娘、キピカネと結婚。そして土地を受け継ぎました。単なる逆玉の輿の話みたいですが、彼は重要な仕事を成功させています。

彼が初めてハワイを訪れた当時、ハワイ島では数千頭の野生の牛が自然や畑を荒らし、人々はもちろんのこと、王であったカメハメハ1世は頭を抱えていました。

もともとハワイに牛はいなかったはずですが…

その発端は、1788年。カメハメハ1世が、イギリス海軍の船長、ジョージ・ヴァンクーヴァーから贈り物として貰った5頭の牛。王は、牛たちを島内を自由に歩かせ、人々には牛を捕獲することを禁じました。それから20年。牛たちは予想外に繁殖してしまったのだそうです。

王は対策として、牛の捕獲に乗り出しました。当初、捕獲を唯一許されたのが、ジョン・パーカーです。彼は牛の捕獲だけではなく、牛肉の輸出を手掛けることにします。牛肉産業は成長し、島の主な輸出品にまでなっていきました。ジョン・パーカーは新しいビジネスを確立したわけですね。

パニオロ文化から現代まで

時は流れ、1832年のこと。当時の王であったカメハメハ3世(カウイケアオウリは、牛を捕獲するスキルを学ぶため、カリフォルニアからカウボーイを受け入れることにしました。

カメハメハ3世

カメハメハ3世(カウイケアオウリ):By retouched photograph by J. J. Williams, based on Unknown earlier photo (Hawaii State Archives) [Public domain], via Wikimedia Commons

カウボーイとなれば馬は必須。ハワイにはもともと馬はいませんでしたが、1803年にイギリス人探検家のリチャード・クリーブランドが持ち込んだ馬が、牛同様、野生化していました。

その野生化した馬をカウボーイ達は乗り回し、次々と牛を捕獲していったのだとか。彼らはハワイの人々にその技術を伝えました。これが、ハワイアン・カウボーイの始まりです。

ハワイでは、カウボーイのことを「パニオロ」と呼んでいます。スペイン語を話す彼らは「エスパニオル(エスパニョール)」。それが変化して、「パニオロ」と呼ぶようになったとも言われています。

パニオロ

パニオロ:By not given (Hawaii State Archives. Call Number: PP-97-1-008) [Public domain], via Wikimedia Commons

パニオロを生業とする者は次第に増え、彼らの活躍で牛肉産業は急拡大。それに伴い、捕まえた牛たちを飼うための牧場も広がりを見せます。そんな時代を背に、パーカーランチは設立され、そして発展していきました。

現在は慈善団体として、牧場の経営だけでなく、学校や病院への支援活動なども行い、地域のコミュニティに深くかかわっています。

ワイメアの牧草地を通りかかったら、ふと思い出してみて下さい。これら広大な牧場の始まりが、イギリスからやって来た5頭の牛であることを。もし、彼らがカメハメハ1世の元に来なければ、ワイメアのこの景色は拝めなかったかもしれません。

以上の内容は、次のサイトを参考にさせて頂きました。それぞれの情報を補完しながら書いています。誤りがあったらスミマセン。

参考サイト

2015年12月更新
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